お題1:ジーノが椿に照れる

九条みやこ様 【neutral】 ※R-18


「あっ」
椿があげた声にジーノが振り返った。
「どうしたんだい、バッキー?」
ガクンと肩を落としてうなだれている椿の横に寄り添うようにして立つと、頭を下げているせいで少し低い位置から黒い瞳がジーノを見上げた。
眉をハの字に下げた椿の顔は見慣れたものである。
どうやら目の前に置かれたカバンの中身にその原因があるようで、ジーノは顔を椿に近づけるようにして覗き込んだ。
椿が取り出したのは、多分チョコレートとそれを包んでいたであろう残骸だ。
「…忘れてたんス。世良さんにもらって、それで…」
練習の後に食べようとしたのだと言う。
「ああ、今日暑かったよね」
ガクーンと、胸と顎がくっつきそうな勢いで、椿は顔を落とした。
「冷蔵庫。借りればよかったのに」
「そっ、そんなオオゲサなもんじゃないんす。ただのチョコなんで!」
今度は上げた頭をブンブンと左右に振って否定をする。
忙しいなあとジーノは心の中で呆れながらも、口元が緩むのを止められなかった。いつもそうだ。椿を見ていると微笑ましくて、知らぬ間に暖かい気持ちになってしまうのだ。
「ただのチョコだから溶けたんでしょ?」
「うっ…」
バカだねバッキーは、からかいながらジーノは椿がカバンから中身を取り出すのを手伝ってやった。

ジーノ宅のダイニングテブルの上に並べられていく、溶けたチョコレートがついてしまったものとそうでないもの。
カバンに入っていたほとんどは椿の着替えだったため、なんとか大惨事だけは免れることに成功したようだった。
「携帯は大丈夫なの?」
「っス! 外ポケットに入れてたんで平気でした」
「財布は?」
「…ぁ……俺、今日は忘れてきたみたいで…」
「えー!? ちょっとバッキー、しっかりしてよ」
「うぅ…スンマセン…」
もちろんジーノとしては椿が財布を忘れようが忘れまいが関係なく、彼のために支払うことに異論があるわけではない。ただ、自分が一緒にいてやれない時、椿自身が恥をかいてしまわないよう、しっかり躾けておかなければならないと思っているだけだった。
「じゃあ汚れた服は洗濯してくるように。ちゃんと乾燥もしてくるんだよ」
「ッス!」
勝手知ったる何やらで、迷いなく洗濯機へ向かう椿の背中を見送り、ジーノはふとチョコレートの包み紙に目をやった。

ピンクやグリーンの賑やかな包み紙には、中途半端に溶けた柔らかい塊が残っていた。
「なんでそのまま入れちゃうかな」
箱なり袋なりに入れてからカバンに仕舞えばよかったのに。
世良にもらったと言っていたから、手掴みで何個か渡され、そのまますぐ練習に行ってしまったのだろうが。椿は気が小さい割りに大らかなところがあるので、単にそこまで気が回らなかったのかもしれなかった。
「王子、スンマセン、残り片付けます」
いつの間にか傍らに戻ってきた椿の頭を、きちんと帰ってきた犬を褒めるようにジーノは撫でた。
「バッグが汚れなくて良かったね」
「…あ、はい…よかった、です」
椿はジーノにされるがまま、片付けの手も止めて意識を頭に集中させている。
それならそれで、ちゃんと顔を見てくれたらいいのにとジーノは思うのだが、椿は頬を赤らめて視線を逸らしてしまうのだ。恥ずかしい、と言っていたように記憶している。お互いに見つめあうほうが楽しいに違いないのに。ジーノとしては少し不満だが、椿がいやだと言っている以上あまり無理強いはしたくなかった。

「はい、バッキー」
ジーノは比較的ましなチョコレートを摘みあげて包みを剥ぐと、椿の顔の前に突き出した。
「え、あ、っと?」
目の前すぎてピントが合わず、椿はまばたきをしながら首を傾げる。
「ほら、口、開けて」
言われるがままに開けた口の中にチョコレートを放り込まれ、椿は甘い味と匂いに目を白黒させる。そんな椿に覆いかぶさるように、ジーノは唇を重ねた。
椿の舌の上で転がすようにチョコレートを溶かしてゆく。
無意識に逃げようとする椿の体を腕とテーブルで挟んで、より深く口付けるために角度を変えた。

「…ぷはっ…はぁ…王、子…」
チョコレートをたっぷりを味合わされた椿は肩で大きく息をした。
「どう? 美味しかった?」
にっこりと笑いかけるジーノの笑顔にはどこか艶があり、椿は更に赤面をする。
テーブルに上にあった荷物を払いのけて床に落とし、ジーノはゆっくりと椿をテーブルへ押し倒した。
「バッキーのことも溶かしてあげるよ」
反り返った体勢だと辛いだろうから、椿が楽なように腰をテーブルの上に押し上げてやり、その行為に満足したジーノは椿の首筋に舌を這わせた。
「え、ええっ、ちょっとま…わっ!」
生暖かい感触にようやく我に返った椿がジーノの肩を押し退けようとするが、そんな弱い力では叶うはずもなく、脇腹を撫で上げる手によってTシャツもたくし上げられてしまう。
「だ、ダメです…おう、じっ…止めてくださ、いっ…」
「どうして?」
椿の体はジーノの手にこんなに正直に反応しているのに。

身をよじって逃れようとする体を宥めるように、腹をゆるゆると撫でて、ジーノは椿が引きつった声をあげるのを楽しむ。
「…ひっ…だ、ダメなんす…っ……だめ…」
「だから、どうしてさ。ちゃんと自分の口で言わなきゃ聞いてあげないよ?」
いつも強請らせる時にそうするように、椿の顔を上から覗き込んだジーノは、彼のぎゅっと閉じられた目じりに浮かんだ涙を見つけた。
この段階で椿が泣くことは、今はもう滅多にないことだった。
ジーノは少なからず動揺する。

「…ねえ、バッキー。どうしてダメなの?」
今度は椿の話をきちんと聞くために問いかけた。
落ち着いたトーンの声に、涙で潤んだ椿の目が開く。黒いその目はジーノを見つめ、隠すように自身の腕で覆われた。
「……ムリ、なんス…俺…」
椿の言葉はジーノの胸を突き、
「…おれっ…もうっ、これ以上、溶けないんス!」
そのまま脳天を貫いた。

心情を思ったまま吐き出した椿は、ジーノの反応がないことが不思議で腕をそうっと下げた。
「うわっ!」
だがすぐにジーノの手によって視界を奪われてしまう。
「王子っ、手、どけてくだ…うあっ」
胸にトンと落とされた重みで、ジーノが顔を伏せたことは分かったのだが、そのまま動く気配がない。
Tシャツの布ごしに伝わる呼吸の温かさが、椿を落ち着かなくさせた。
「あの、王子…見えないっス…」
「……見えなくていいよ」
「でも王子、いつも王子のこと見ろって言」
「バッキーってさ…」
「はい」
名前を呼ばれたらすぐ返事をする癖で返して。
「・・・時々、すごいコト言うよね…」
「えええっ!? そっ、そんなコトないッス、けど…王子?」

胸の上で大きく吐かれたため息に、椿の肩が震えた。
いつもと違う様子に戸惑いながらも、椿はひたすら待つしかなかった。