お題2:吸血鬼パロ
しおん様 【et cetra】
夕暮れ時。
執事姿の少年が、森の奥深くの大きな屋敷の薄暗い廊下を進み、最奥の部屋の扉を開ける。
そして、ベッドの中で眠っている主人に声を掛けた。
「王子。舞踏会に出席するなら、そろそろ支度をしないと…」
その声に呼応するように、上等な羽根布団がもこもこと動いた。
「ん〜、もうそんな時間…?」
布団から顔を出した青年の風貌は、まるで美術館に飾られた絵画から飛び出してきた、美しい彫像のようだった。
骨董品のような白い肌に艶やかな黒髪、そして彫りの深い顔立ち。
気品溢れる物腰と、物憂げな雰囲気から醸し出される色気は、世の女性の心を掴まずにいられないだろう。
しかし、気だるそうに身を起こし、ふあ、と大きくあくびをしたその口元には、白く長い二本の牙が光っている。
「さっさと支度してくださいよ」
鋭い目をした執事姿の少年は、面倒くさそうに主人を急かした。
「まったく…、使い魔のくせに、態度悪いなあ、ザッキーってば」
「元々、王子の身の回りの世話なんか、使い魔の仕事じゃないっスよ」
仏頂面の少年に苦笑を零しつつ、青年はベッドから起き出し、ん、と伸びをした。
そして、正装に着替えながら、独り言のように呟く。
「最近のご婦人の血って、全然おいしくないんだよねぇ…」
「仕方ないんじゃないっスか。
最近は人間の嗜好も変わってきてるみたいだし。
つか、そもそも王子に引っかかるような女は生娘じゃないし。
んでも、いちいち食料を選り好みしてる場合じゃないっしょ」
その美しい青年の正体は、生き血を糧として永遠の命を持つ吸血鬼。
名をジーノと言った。
舞踏会に出掛けては女性を見繕い、その魅力で虜にしたところで、喉元から血を吸っている。
しかし、一番の好物は、処女の生き血だった。
「昔みたいに、慎み深くて可愛らしい子はいないものかねえ…」
ジーノはザッキーという名の使い魔から手渡された、艶光りする黒のマントを身に着けながら、深く嘆息した。
ジーノが館の外に出る頃には、完全に陽が落ち、辺りは闇に包まれていた。
門の脇には、一頭立ての馬車が用意されていた。
「あ、王子。チーッス」
「やあセリー。今日も頼むよ」
「ッス」
ジーノは馬の側に控えていた、御者姿の少年に声を掛けて馬車に乗り込む。
茶色の髪をぴんぴんと跳ねさせた、セリーという名のもう一人の使い魔は、御者台で手綱を握ると、馬車を発車させた。
ガタゴトと音を立てて馬車は進み、暗い森を抜ける。
街へ向かう途中、血の匂いが風に運ばれてきた。
「…王子。この先で馬車が…」
「うん、大方、盗賊にでも襲われたってとこかな」
御者台からセリーが声を掛け、ジーノも返事を返した。
血が好物とはいえ、死体の血など、普通なら目も呉れる気にならない。
けれど、この時ジーノは何故か、気紛れで足を向けてみる気になった。
血の匂いに怯える馬をセリーが宥めて馬車を停め、ジーノは打ち捨てられた馬車へと向かう。
中には、高貴な出で立ちの男女が血まみれになって倒れていた。
同情する気も、憐れむ趣味もない。
人間は、自分たちにとって単なる食料。
強奪を目的として、こうして同じ種族の命を簡単に奪う、愚かな人間の血を糧とすることに、罪悪感など持つ必要もない。
ジーノは何の感慨も持たない目で、中に横たわる、ほんの数刻前まで人であったものたちを一瞥すると、踵を返した。
「…ひっく」
微かな泣き声を耳にし、ジーノは振り返る。
もう一度馬車の中に乗り込み、蹲るように倒れた女性の死体を覗き込むと、女性によって身を挺して庇われた少年の姿があった。
「ひっく…」
大粒の涙を零す、大きな黒い目が、ジーノの姿を捉える。
恐らく、母親と思われる女性が抱き込んだその手から、ジーノは少年を抱き上げる。
身なりの良い、まだ幼いその少年は、自分の身に何が起きたかも理解していないようだ。
両親を殺された貴族の子どもの行く末など、想像に難くない。
「君、名前は?」
ジーノが細く長い指で涙を拭ってやると、少年はやんわりと瞬きをし、小さな赤い唇を動かした。
「…バッキー」
ジーノは柔らかく微笑み、バッキーと名乗った少年の黒髪を梳くように撫でてやる。
「バッキー。いい名前だ」
ジーノはバッキーを腕に抱いて、セリーの待つ馬車へと戻る。
「あれ? 王子、そのちっこいの、どうするんスか?」
セリーはきょとんと首を傾げ、大きな目を瞬く。
「連れて帰るよ。ボクが育てる」
「ええっ?!」
驚くセリーを尻目に、ジーノはバッキーを抱いたまま馬車へと乗り込んだ。
「ちょちょ、王子、舞踏会はどうするスか?!」
「今夜は止めにする。このまま帰るよ」
「ええ〜?」
セリーは困惑しつつ、主人の言い付け通り、屋敷へと馬車を引き返した。
ガタガタと揺れる馬車の中で、優しく頭を撫でていると、バッキーはうとうとと眠ってしまった。
ジーノは、腕の中で眠る、小さくて温かい生き物を見遣り、笑みを零した。
(今は、大した血の量じゃないけど、人間の成長なんてあっという間だ。
ほんとは男の襟元に噛み付くなんて、ボクの美意識に反するけど…。
もうちょっと育ったら、非常食にくらいはなるだろうしね)
馬車は夜道をガタゴトと進み、ジーノとバッキーを館へと運ぶ。
出迎えるザッキーが思い切り眉を顰め、一通り文句を言い立てる姿を想像しながら、ジーノはバッキーの黒髪を梳いた。
それが、物語の始まり。